ここにはない何かを求めて旅に出かける。
最高に気分がいい。
出会った作品もその一つだったりする。
何でもね。
美術館で出会う作品も、その企画者のコンセプトがよく表れている。
特に面白いのは個人のコレクションだな。
最近気になった記事はこちら
「英雄」の銅像撤去相次ぐ、コロンブスやガンジーも | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
讃える意味よ・・
賞などを与えて完成された中で踊ることはどうなんだろう。はたまた一時期のナイキとニューバランスどっち?のような問題はどこにでも存在する。
その基準は今現在生きている人たち一人一人が感じて作っている自覚を持ちたい。
今まで搾取されるような働き方をしていた過去に告ぐ。
「その経営者は信用足るか?」
日本人はよく考えて働こう。自分の大切な人生を搾取されるような働き方はやめよう。
自分の足で立つために。
アートでも、最近は売れることを考えてコロナに通ずる祈りだったり疫病退散系の、七色の光だけ描いたような絵を見かけたりするようになった。曼荼羅・龍・・・
よく分からないけど怖い。宗教観が強すぎる。
人間の醜さをダイレクトに描いている方が気持ちいいくらいに感じてしまう。
バランスなんだろうが・・・ 欧州でいう古典の教会ではこんなことはなく、街の昔からの地域でずっと見守られてきた宗教画が多い。
それに比べると欲望むき出しに見える作品でもあるのかもしれない。
無宗教という人が描いていたらそこにはただの欲望だ。
あと昔から少し思っていたのだが、関西圏の作家さんでスーパーフラットの流れか、「現代アート」の流れか、コミカルで淡い泣いてる甘い女の子の絵が多いのは気のせい?
何系というのだろう?誰か教えてくれ
不快を与えるのがアートとして立ち止まってくれるという、単純で見た後の気分が良くない作品などは2010年代には結構あった気がする。
違う意味で不快をみるというか
現実が不快だからせめて作品だけは・・と思う時もあるけれどカオスがアートとは限らない。
それだけ心が躍っているのかもしれないが。
日常の中に美しさを見出す方が自身は好みだ。現代アートと謳っているものでも、ビジネスライクすぎず単純すぎない方がずっと見ていられる。単純さの中の気持ち良さもあるけれど。
心が求めてる絵・作品は沢山実際に見ないと見る力がつかないと感じる。
現在は作品が沢山あるから、それぞれのバックグラウンドを感じながら沢山見ていきたい
今までも・これからも
作家を応援する唯一の方法は絵を持つということも忘れずにね
絵でも色々な楽しみ方があると教えてくれる本↓